「素直に受け入れる」というミニマルな考え方

先日、X(旧Twitter)で次のような投稿をしました。

きっかけは、妻がとある賞を受賞することになり、戸惑いながらも素直に喜んでいる姿をみたときのことです。

その姿をみながら、ふと考えました。

ジョイ右京

もし自分だったら、こんなに素直に喜べるんだろうか

私はどちらかというと冷めた性格の人間です。

なので「そんなにすごいことじゃない。もっとすごい人は沢山いるんだから」などと冷めた態度をとるだろうという気がします。

しかし「でもそれって疲れることだよな……」とも思いました。

なんだか複雑で面倒なことを考えている気がしたのです。

そこで今回は「素直」について書いてみました。

ジョイ右京について
  • 最小限のモノで暮らす40代ミニマリスト
  • 妻と二人暮らし
  • ミニマルな暮らしやストレスなく穏やかに過ごすアイデアを発信しています
  • Xアカウント: @joy_ukyou
Kindle電子書籍をセルフ出版しました
目次

素直に受け入れる=シンプルに思考する

例えば誰かから善意を受けたとき、私は次のように考えてしまいます。

ジョイ右京

(嬉しいけど)素直に喜んだ姿をみせるとなめられる

ジョイ右京

(嬉しいけど)なにかウラがあって善意を向けているんじゃないのか。素直に反応すると危険かもしれない

けっして嬉しくないわけではないのです。

ただ、「これをそのまま受け入れていいのだろうか」「実は悪意があるんじゃないか」と素直に受け入れられずに悩んでしまうのです。

では、もしこの善意を素直に受け入れられるとどうなるか。

純粋に「嬉しい」というシンプルな思考になるのではないでしょうか。

それはつまり、思考に無駄がないともいえます。

素直であることのリスク

ただ、素直であることにはリスクも伴います。

「素直さ」につけこんで悪用しようと考える人が必ずいます。

私が大学生4年生で就職活動をしていた頃、就職氷河期でしたが一社だけスムーズに選考が進む会社がありました。

面接ではいつも高く評価をしてくれて、就活に疲れ切っていた私は素直にそれを嬉しく思っていました。

そして実際に内定までもらって喜んだのですが、大学の就職部に連絡すると「絶対やめておけ」と強く忠告されました。

実態は、いわゆるブラック企業で、社員が続々と辞めているような会社だったそうです。

さいわい内定辞退が間に合いました。

私は真面目に見える学生だったので「入社さえさせてしまえばこっちのものだ」と見られていたのかも知れません。

そのまま入社していたら、いいようにこき使われながら働いていたのではないかと思います。

このような悪意が向けられた場合、子どもであれば保護者が守りますが、大人の場合は自分自身で守るしかありません。

「素直にみられる」ということは、それなりのリスクも内包しているのです。

初めは素直に受け入れてみる

それでも、ミニマリストの私にとって、素直になりシンプル思考になるメリットは少なくありません。

そこで、リスクがあることを前提としながら「初回は素直に受け入れる」ということにしました。

つまり、悪意があろうとなかろうと、まずは疑わずにそのままに受け入れる。

というのも、悪意がある場合は「決断をうながす」行為があるはずだからです。

私が決断して初めてその人にメリットがあるからです。つまり、先ほどのブラック企業の場合は、私が内定を受諾して初めてメリットがあります。

そういった決断をうながす言動が出たときに、ウラがある可能性が高くなってきます。

なので、疑ってかかるのはそのときになってからで良い。

初めは素直に受け入れてみるというのは、そういう理由からです。

実際に試してまだ間もないですが、悪意がある人なんてそうそういないので、思考がラクになっている気がします。

まとめ:素直でいられる方がたぶん生きやすい

「善意を疑う」という思考は、けっこう疲れます。

それは考えても答えがすぐにわからないことを考えているせいでしょう。

できるなら、そんな余計な思考は手放して、素直に善意を受け入れる方がたぶん人生は生きやすいのだろうと思います。

ミニマリストは不要なモノを手放します。

おなじように不要な思考もできるだけ減らしていきたいものです。

【余談】冷めた性格になったきっかけ

私が冷めた態度をとるようになったのは、80%以上は生来の性格のせいなのですが、育った家庭環境もあるような気がします。

子どもの頃、両親は私が示した態度や感情を事あるごとに親戚によくしゃべっていました。

幼少の頃は何も感じていませんでしたが、小学校高学年の頃からそれがだんだんと嫌になりました。

「なんで私をネタに笑って話をするのだろうか」と。

だったら態度や感情をださないようにしよう、と考えたのは、当初はささやかな反抗だったのかもしれません。

ただ間もなく思春期を迎え、その態度は軟化することなく維持し続け、この40代に至るまで私の性格の基礎となってしまったわけです。

今考えると、「私は、私のことを話すのがイヤだからやめてほしい」という両親に打ち明けるのが正しかったのでしょう。

当時の私はそれができませんでした。

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ジョイ右京
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